忍者ブログ
東京都品川区の歴史
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



所在地 東京都品川区豊町2-1-30

 戸越公園は寛文2年(1662年)、肥後の国熊本藩主細川越中守重利が下屋敷として、この付近の地と共に拝領し、寛文11年(1671年)当時武家屋敷を代表する数寄屋造りと庭園からなる戸越屋敷として整備した庭園の一部であります。天明4年(1784年)松平隠岐守の手にと渡りました。明治の変革により久松家などの手を経て、明治23年(1890年)三井家の所有となりました。

 昭和7年(1932年)三井家が現在の戸越小学校のいちぶと共に別邸の庭園部を旧荏原町役場に寄付しました。東京市域拡張の際、旧荏原区に引き継がれ、昭和9年(1934年)東京市は公園の整備を行い、昭和10年(1935年)3月に完成し東京市立戸越公園として開園しました。



 その後、東京都に引き継がれ、昭和25年(1950年)10月に品川区に移管された区内でも由緒ある公園です。その後区では数次にわたる改修を重ね、歴史的な風情を復元させ武家屋敷の雰囲気をかもしだすよう、正門を始め施設の再整備を行い現在に至っています。



<公園の概要>

面積    18,255㎡(池の面積1,815㎡ 湧水と水道水を併用)
開園日   昭和10年(1935年)3月24日
公園便所 3ヶ所
みどころ  池を中心とした回遊式庭園に咲くサクラやツツジ、キンモクセイ、ウメなど区内だけでなく区外からの利用も多く、朝のラジオ体操やゲートボール、祭り、いろいろな催しなど多岐にわたり利用されています。
 
PR


所在地 東京都品川区豊町2-1-30(戸越公園)

 戸越公園は寛文年間(1661~1672)に熊本藩細川家の下屋敷の一部となっていました。
 この戸越屋敷は、江戸滝の口の上屋敷及び芝白金の下屋敷とは性格が異なり、鷹狩りやきじ狩り、あるいは茶会等を行う別荘風の邸宅であったとされています。
  したがって、この戸越屋敷に設けられていた武家屋敷門は、上屋敷あるいは芝白金の下屋敷に構築されていたと推定される長屋門とは異なり薬医門、冠木門(かぶきもん)等の簡素なものが中心であったと考えられます。



 以上の歴史的背景をふまえ簡素で質実剛健な様式であり、戸越公園の正門にふさわしい点から平成4年(1992年)4月にこの薬医門(やくいもん)を、平成2年(1990年)3月には東門として冠木門(かぶきもん)を構築しました。

 薬医門(やくいもん)のいわれは医師の門として使われたことからこう呼ばれていたようです。

 主材としてゃ台檜(台湾檜)、三州日本瓦などを使用した本格的な造りとなっています。
平成5年(1993年)3月吉日
東京荏原ライオンズクラブ 寄贈


忍者ブログ [PR]
サイト内検索
アクセス解析
プロフィール
HN:
永山
性別:
男性